三学戒 [探Q舎]
久しぶりに佐藤一斎の「言志四緑」を読み直した。
佐藤一斎は、田沼意次が老中に就任した安永元年(1772年)に、
美濃岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村)家老の子として誕生した。
儒学を朱子学から陽明学まで広い見識があり、学問仲間から『陽朱陰王』と呼ばれた。
学び70歳の時今で言えば東京大学総長のような立場となった。
門下生の数はおよそ6000人といわれている。
幕末に活躍した英才を多く輩出した。
膝下から育った弟子の佐久間象山や渡辺華山、それから西郷隆盛にも強い影響を与えた。
西郷は門下生ではないが、言志四緑が座右の書であった。
さらに、佐久間象山の門下には、勝海舟、吉田松陰、小林虎三郎ら。
さらに、吉田松陰の門下には、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら。
このように、一斎の教えは脈々と語り継がれた。
中でも有名なのが三学戒。
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老にして衰えず
老にして学べば、則ち死して朽ちず
言志四緑 第60条
一生のそれぞれの時期で、学問の花が咲く。
学問は、年齢を選ばない。
これこそ学問のおそるべし力である。
探Qっ子たちは一行目。
これから、これから、だけど、壮にして為すための土台作りの今。
今こそ大切。
種播き、種播き、水やり、水やり。
学びのタネを沢山まこう。
佐藤一斎は、田沼意次が老中に就任した安永元年(1772年)に、
美濃岩村藩(現在の岐阜県恵那市岩村)家老の子として誕生した。
儒学を朱子学から陽明学まで広い見識があり、学問仲間から『陽朱陰王』と呼ばれた。
学び70歳の時今で言えば東京大学総長のような立場となった。
門下生の数はおよそ6000人といわれている。
幕末に活躍した英才を多く輩出した。
膝下から育った弟子の佐久間象山や渡辺華山、それから西郷隆盛にも強い影響を与えた。
西郷は門下生ではないが、言志四緑が座右の書であった。
さらに、佐久間象山の門下には、勝海舟、吉田松陰、小林虎三郎ら。
さらに、吉田松陰の門下には、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら。
このように、一斎の教えは脈々と語り継がれた。
中でも有名なのが三学戒。
少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老にして衰えず
老にして学べば、則ち死して朽ちず
言志四緑 第60条
一生のそれぞれの時期で、学問の花が咲く。
学問は、年齢を選ばない。
これこそ学問のおそるべし力である。
探Qっ子たちは一行目。
これから、これから、だけど、壮にして為すための土台作りの今。
今こそ大切。
種播き、種播き、水やり、水やり。
学びのタネを沢山まこう。
2017-12-07 10:33
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