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シカタガナイを超えるヒント [ジャンク]

わりと多くの人たちが口にする言葉。

「シカタガナイ、ショウガナイ。」
でも、ちょっと立ち止まって・・・

それは、ほんとうに仕方ないものなのか?
少々、考えてみたい。



シカタガナイを超えるヒントを探ってみよう。



小さなことから、大きなことまで、
シカタガナイ、という言葉で片付けてしまう人たち、けっこういると思う。

どのようなシチュエーションで使うか。
自分の境遇や運命に対して?
自分のチカラではドウシヨウモナイ、
自分の影響力の範囲外の大きな問題に対して?

そう判断したときに?

フンギリをつけて、
ポジティブな諦めから、再スタートをきる時に?
これなら、知恵のある使い方なのかもしれない。
たしかに
ある意味、使い勝手がよい面もあるだろう。


日本人の精神性か、
諦めの良さ、潔い態度、美しい引き際を美徳とする面もあるように思う。




難しい問題は、今直面している問題が、
目の前にある状況が、本当にシカタガナイことなのか、どうかの判断である。

本当にそうなのか?シカタガナイ、で済ませてよいのか?

シカタガナイという考え方をどこまで排除できるか、
にこれからの運命がかかっている。



ここで、今一度思い起こすべきは、

思想は創造できるんだ、
思想は発明できるんだ、

ということ。



イディシエ・コップという言葉がある。
これは、ユダヤ人の頭の中、という意味。

ユダヤの人々の歩んで来た、遠い昔から現在までにいたる長い道のりは・・・大変奥深い。

そして、現在、
世界のたった0.2%の人口にすぎないユダヤ人(2014年では1500万人程度)
の人類への大いなる貢献の数々は人々の知るところ。


彼らの創造した偉大な思想、
それは絶望を大罪とするものであり、罪を超えるもの。。

そこから、全てが始まり、希望、感謝へと正のスパイラル。
絶望から希望、感謝への見事な転換方法。
そして、そこから世界の創造と貢献の正のスパイラル。

いかなる苦境に襲われようとも、屈することなく、
思想を創造し、世界を変えることができる人類の底力を思い知らされる。

絶望の淵から、希望を見出し、やがて自らに幸福を授け、世界に幸福をもたらす
精巧な思想を創り出したのは、他でもなく最も過酷な運命に襲われたユダヤの人々、

その人々であった。


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