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満足そうな5歳児がくれたヒント [探Q舎]

そのときの学びのねらいはけっこう深いものであったので、
年長さんにとっては全容の理解は相当厳しいものであったに違いないのですが、

実験の作業がお好みだったのか、
ふしぎな現象が面白かったのか、
それとも、本質を掴まれたのか

同じ実験をなんと、黙々と16回もされたお子様がいらっしゃいました。
(少しずつ条件が変わったり、変えなかったりの変化はありますが)

納得行くまでなんぼでもどうぞ、と申しまして、
時折観察しつつ、遠目で様子を見守っていますと、完全にもう一人の世界で集中状態。


最後に、戦利品を、華奢な指を丁寧にさしながら、

「1.2.3,--------」
とぽちぽちと数えられて、


そして、
「16本」
かわいらしい小さなつぶやき。


そのつぶやきの直後の、

まあ、なんと嬉しそうなことか。

ミッション完遂、
勝利の表情なのでしょう。
たしかに、どこか、凛々しい戦士の姿でもありました。


こちらのお子様の「納得いくまで」は、16回だったのですね。



学びにおける納得感は重要だと思います。

学びにもいろいろあるのですね。

新しい知識を得るとか、
技術を習得するとか、
もがき苦しむ学びとか、


しばしば、保護者さまは、年長さんのお子さんの様子をご覧になって、

「この子、何も分かっていないと思います。」
とか、
「年長の我が子には、難しすぎると思います。」
とか、

おっしゃってご心配されるのですが (おそらく勉強?学習と同じ視点?)、
私は、少し違う印象を持っていまして。

わかる、とひとくちに言っても、
これは、そうとう深いですね・・・




実際に、集中されていたり、楽しんでいらっしゃったりすることが、
すでに立派な学びなのではないかと・・・・

その授業の内容を理解できるか、できないか、と簡単に大人が判断するのではなく、
理解のレベルは自分自身が選択できるのだということです。
もっと申しますと、5歳の方でも、授業を自分自身で創造しているのだということです。
それぞれの理解を、お子様お一人お一人が創意工夫して学びを生み出すということです。



その授業の中で、全て理解する学び、全て理解できる学びだけが学びではないと考えています。
むしろ、そんな単発の授業で完結する学びは面白みに欠けますし、物足りない学びに思えます。

学びは、連続的なものですし、完結するものではなく、
プロセスだと思います。



年長さんたちは、心身全てを総動員して、

年長さんなりの、深イイ学びがご本人の内部でダイナミックに起こっていると思うのです。

そもそも、学びとは、
分かっているのか、分かっていないのか、
このように容易に二分できるものではないのではないでしょうか。
でも、たしかに、"学び"は起こっているのです。


今回の例では、お子様ご自身が、
ご自身の自由意志で、16回実験されることを選択されたのですから、

ご自身の学びの中で、16回続ける必要があったのだとも言えますし、
16回連続の中で、初めて何かの学びが一区切りしたとも言えるのではないでしょうか。

おそらく、この16回の一連の学びのなかで、
ご本人さんのなかで、

たしかに、"わかった”ことがあったように思われるのです。
満足そうな5歳児がくれた ヒント。















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