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ゲームバランス [ジャンク]

ゲームバランスとは、ゲームの難易度と快適さについてのバランスを指す言葉である。
難しすぎても、容易でもゲームは面白くない。
適度な難易度かつ適度な快適さというバランスが重要と言われる。
ゲーム用語だが、授業にもライフにも当てはまる部分がありそうに思う。


面白いゲームとは、楽しいゲームとは、
面白い授業とは、楽しい授業とは、
面白いライフとは、楽しいライフとは、

技術革新が目まぐるしい昨今。

とはいえ、さすがに、人間にとっての面白さ、楽しさを測定するのは容易ではなかろう。
仮に、面白さ、楽しさを数値化?データ化?し評価できるとしても、
きっともう少し先のことだと思う。


ここのところ、AIとどのようにつき合っていくかというところで不安を煽るような話題が優勢であるが、
それほど心配する必要がないのではないだろうか。

今、まさに過渡期にあって、最も意識を集中すべきは、ほんとうに大切にすべきは、何か。
それは、AIの台頭如何を問わず、それ以前に一人一人の人間が、人生が自分に何を求めるのか、
について真正面から向き合い探究することであるだろう。
そうする中で、AIとのつき合い方、AIの上手な使い方の答えが自ずと出るように思う。


この時代に生きる私たちにとっては、

便利さ、快適さを追究するのは、当然のことである。
面白さ、楽しさを追究するのも、当然のことである。

便利さ、快適さを追究しつつ、
ただし、面白さ、楽しさを味わえる領域は、AIに渡さずに死守しよう。
一見無駄と思えるプロセスそのものの中にも、大切なものもあることもある。
ひとそれぞれ、それは違っているかもしれない、なにかしらの余白のようなものは
今後いくら技術革新が進んだとしても、人間にとって価値がありそうに思う。
息が詰まらない程度に、プロセスそのものを楽しみ味わう、そんなゆとりも大切だろうと思う。
時には、敢えて鈍行で旅をしながら車窓を眺め、旅の会話を味わうようなものだろうか。


人間らしくあるために、自分らしくあるために、失いたくないもの。
AIに奪われたくないもの、があるに違いない。
もしかしたら、それは、便利さ、快適さと葛藤することになるかもしれない。



自分らしくあることは、自らの心身を資本として、価値の創造することに繋がる。
何かを提供すること、何かを残すこと。

たしかな、着地点を見定めたとき、
きっと、AIをがっちりと味方につけられるだろう。


これからの時代、私たちのライフはゲーム性がますます高まっていくように思われる。
ひとりひとりが、ゲームを満喫しながら、野心をもって、
想像力、創造力を発揮できるようにもっていければベストである。
そうすれば、たしかに、あかるい未来は開かれるだろう。




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