SSブログ

パスカルの賭け [ジャンク]

中学生の頃だったか、
論理の構築が曖昧ではあるものの自分の頭の中で漠然と考えていたことのひとつが、
17世紀の哲学者の考えの中に明確に記述されていることを知った。

立派な哲学者が何世紀も前に考えていたことと同じようなことを、自分も考えていたことを知り、
妙に勇気づけられたのであった。
どんな時代の人間でも同じようなことを考えるんだ。
自分だけが考えているわけではないんだ、という安心感。

あまり哲学的なことを議論できる機会が少ないように(勝手に自分が)感じていたため、
どうしても生の会話では難しい部分があったように思う。


その内容は、『パスカルの賭け』というもの。

確率にもとづいて、神が存在するかのように生きることを支持する議論。
明白だが、天国と地獄の存在の有無はだれもしらないし、実在の証明のしようがない。
しかしながら、人間がすべてを見通せず、たとえ理性によって神の実在を決定できないとしても、
神が本当に存在すると想定してそれ相応に生きて行くことが賢明であるとする考え方である。
神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す、
という考え方である。


自分の場合は、神の存在というよりも、因果応報のようなことがあると言い聞かせて行動した方が良いと考えていた。
効果的に日々を意義あるものにするには、より力を出し切る人生を過ごすには、
どうするのが良いかを考えるとき、やはり、そこには何かよりどころがほしい。

科学的根拠など必要がなく、それは、単なる自己完結型の考えで充分であった。
絶え間なく強いアクセルを踏める何かが欲しくて、何かを探していたように思う。
科学では説明できなくても、人間には根拠のない思い込み、根拠のない自信、自己暗示のようなもの、
こういったものにときに救われることがあるように思う。


日常生活でも、『パスカルの賭け』の考え方を応用できる場面がいくつかありそうに思う。
こういう考え方を上手く使えたならば、心理学的に救われることもあるのではないだろうか。

たとえ、真実がそうではなかったとしても、
パスカルが350年前に言った通り、"何も失うものはない" のだから。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。